織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠が、四座雑色という京都の警察業務を担当していた4つの組織に権益をみとめる書状「朱印状」が確認されました。
この朱印状はとある古美術商から男性が購入したとされいて、東京大学史料編纂所が調査したようです。
今回は、4つの家からなる四座雑色という組織の内、1つの家で80点の文書(織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠の朱印状含む)が伝わっています。
この記事では、『書状朱印状|四座雑色の現在の組織(家)とは?80点の文書が伝わった1つの家はどこ?』ということで情報をまとめていきたいと思います。
戦国時代以後、将軍や武将が所領安堵(土地権利、所職の存在・継続・移転などを保証・承認する行為)や海外渡航許可などの際に発行した公文書のこと。
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書状朱印状|四座雑色の現在の組織(家)とは?
織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠が朱印状を発行した四座雑色という組織(家)は、現在もあるのか確認していきたいと思います。
まず、『四座雑色』というのは、京都町奉行の指示を受けて治安維持などにあたった4家のことを指しています。
江戸時代,京都町奉行のもとで治安維持や公武の諸儀式の警固,囚人の監督等に従事した町役人。五十嵐,荻野,松村,松尾の4氏が統括したので四座と称した。四座雑色の起源は室町幕府で京都の検断を行った侍所の小舎人雑色にもとめられるが,江戸幕府による京都支配機構の末端に組み入れられたのは1601年(慶長6)板倉勝重が四座に四方内を分担させて以来のことである。もとは荻野,五十嵐の2氏のみであったが,足利義政のころに松尾,松村の2氏が加えられた。
四座雑色の4家というのが、『五十嵐、荻野、松村、松尾』の4氏です。
この五十嵐家、荻野家、松村家、松尾家が、織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠が生きていた時代に、朱印状を発行された組織とされています。
現在、この4家(五十嵐家、荻野家、松村家、松尾家)は、公に情報が公開されていません。
そのため、織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠が朱印状を発行したとされる4家が現在もあるのかはわかりませんでした。
もう400年以上前の話にはなるので真相はわかりませんが、京都で警備をしていた組織とされているため、もし存在しているのであれば京都の可能性が高いでしょう。
ちなみに、五十嵐家に関しては、『京都町奉行所の指示を受けて洛中洛外の警固や触の伝達などにあたった四座雑色の家のひとつ』ということがわかっています。
書状朱印状|80点の文書が伝わった1つの家はどこ?
今回の80点の文書が伝わったのは、四座雑色4家(五十嵐家、荻野家、松村家、松尾家)のうち1つの家とされています。
どこの家の書状(朱印状)が発見されたのでしょうか?
現時点では、東京大学史料編纂所は四座雑色4家(五十嵐家、荻野家、松村家、松尾家)の1つの家を公表しておりません。
公表していない理由は不明です。
いまのところ、東京大学史料編纂所のデータベースに情報は掲載されておりませんので、今後情報が公開され次第本文にも追記します。
書状朱印状|どこの古美術商から購入した?業者?
織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠の朱印状含む80点の文書は、男性がとある古美術商から購入したとされています。
その古美術商についても気になりますね。
そこの古美術商から調べてみたのですが、どこの業者が販売したものかはネット上に一切記載がありませんでした。
そのため、男性は古美術商からネットではなく直接手渡しで確認し、購入をされたものと考えられます。
あくまで推測になりますが、ネット上に情報がないということはその可能性が高いでしょう。
ネットの反応
織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠が、4家に権益をみとめる書状「朱印状」が確認されたことで、ネット上の反応もみていきたいと思います。
すごいね。歴史上の偉人って漫画の登場人物みたいなスーパーヒーローを想像するけど、実際はいまの政治家みたいなおっさんばっかだったんだろうな。
出典:Twitter
天下人の朱印状? しかも原本
よく残ってたね織田信長 朱印状…
出典:Twitter
このニュース、ちょっと面白いやん。
出典:Twitter
一般の男性が古書類を古美術店だかで買い取った中にあったらしい
出典:Twitter
書状朱印状|四座雑色の現在の組織とは?まとめ
この記事では、『書状朱印状|四座雑色の現在の組織(家)とは?80点の文書が伝わった1つの家はどこ?』ということで情報をまとめてみました。
今回、織田信長、豊臣秀吉、徳川秀忠の天下人の朱印状が確認されましが、徳川家康ではありませんでしたね。
これは家康の将軍在位が短かったからではないかと推測されているようですよ。
最後までお読みいただきありがとうございました!